東京高等裁判所 昭和42年(ネ)50号 判決 1972年4月12日
控訴人
原寿々江
右訴訟代理人
中込陞尚
右復代理人弁護士
根岸隆
安野一三
被控訴人
大興証券株式会社
訴訟承継人
偕成証券株式会社
右代表者
金子司
右訴訟代理人
波多野義熊
主文
本件控訴を棄却する。
控訴人の予備的請求を棄却する。
控訴費用は、控訴人の負担とする。
事実
控訴代理人は、第一次請求として「原判決を取り消す。被控訴人は控訴人に対し、金一七〇万円およびこれに対する昭和三七年六月一五日から支払ずみに至るまで年六分の金員を支払え。訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決および仮執行の宣言を求め、予備的請求として原判決の取消を求める部分を除き第一次請求と同一趣旨の判決および仮執行の宣言を求め、被控訴代理人は、「本件控訴を棄却する。」との判決を求めた。
当事者双方の事実上の主張、証拠の提出援用認否は、次に付加するほかは、原判決の事実欄に記載のとおりであるから、これを引用する。
控訴代理人において、(一)控訴人は被控訴会社被承継人大興証券株式会社を代理する訴外折目誠一郎に対し、株式売買取引委託保証金として小切手二通により合計金一七〇万円を払い渡したのであるが、被控訴会社において控訴人と前記大興証券との右委託契約の終了時における右保証金によつて清算するべき両者間の取引内容と計算関係を具体的に主張立証しない以上、被控訴会社は上記会社の承継人として右保証金全額の支払義務を免がれない。(二)仮に控訴人が同訴外人に渡した右金一七〇万円が被控訴会社に保証金として入金されていないとすれば、同訴外人はこれをほしいままに他に流用費消したというのほかなく、右は同人が被控訴会社の営業部員として顧客との間の取引に関する金員の授受、取次等の業務の執行の過程においてなされた行為であり、これによつて控訴人は同額の損害をこうむつたわけであるから、前記大興証券は民法七一五条一項により控訴人に対し右損害の賠償をなすべきである。そこで、予備的請求として、控訴人は同会社の承継人である被控訴会社に対し予備的請求の趣旨記載のとおりの判決を求めると述べ、
被控訴代理人において、もつとも、控訴人主張の小切手二通が大興証券に入金されたことはあるが、右は控訴人主張のごとく控訴人の取引委託証拠金として入金されたものではなく、控訴人から融通を受けた資金等を運用して控訴人その他の顧客名義を使用して自己の計算において大興証券との間に株式取引を行なつていた訴外折目誠一郎が、控訴人名義の取引の過程における株式売買代金の決済のために入金したものであり、仮に右小切手が同訴外人の資金によつてでなく控訴人の出捐によつて決済されたものであるとしても、それは控訴人が右訴外人の手張り行為の資金にあてられることを知りながら同人にこれを貸与したものであるから、控訴人は右訴外人が大興証券の業務に関してでなく、自己の個人的行為としてなす右手張り行為に関してその情を知りながら右の出捐をなし、これによつて損害を受けたというにすぎず、大興証券に対し民法七一五条による責任を追求しうる筋合ではないと述べ、
<証拠略>
理由
一、請求原因第一項の事実は、当事者間に争いがない。
二、<証拠>によれば、訴外折目誠一郎は、昭和三二年四月被控訴会社の被承継人大興証券に入社し、同三五年夏頃まで同会社の営業部員として有価証券売買の取引の勧誘等の外務業務に従事していたこと、いずれも控訴人振出名義の訴外第三信用組合あて昭和三五年二月二九日付の額面一〇〇万円および七〇万円の小切手二通が控訴人から右訴外折目を通じて前記大興証券に交付され、右小切手金はその頃控訴人の有する前記信用組合の預金口座から支払われたことを認めるに十分である。
控訴人は、控訴人から訴外折目を通じて大興証券に対してなされた上記二通の小切手の交付は、控訴人が大興証券の証券取引外務員であり、同会社の代理人である前記折目に対し、同会社に対する株式売買を委託し、その委託保証金として預託するためになされたものであると主張するのに対し、被控訴人はこれを争い、控訴人は単に右折目が控訴人の名義を用いて大興証券との間で自己の計算の下で行なつていた株式売買取引、すなわちいわゆる手張り行為の運用のために控訴人の有する預金口座を利用せしめ、控訴人名義の小切手の振出、交付を容認していたもので、上記二通の小切手も折目がその手張り行為の決済の一環として大興証券に納付したにすぎず、控訴人主張のごとき取引委託保証金の支払いのために振り出し、交付されたものではない旨抗争するので、この点につき判断する。控訴人は、自己の主張の証拠として、保証金として金一七〇万円を受領した旨の記載ある大興証券名義の控訴人あての金銭預り通帳(甲第一号証)と、控訴人の主張に沿う供述を含む原審証人折目誠一郎(第一、二回)、同横浜鉄城の各証言ならびに原審(第一、二回)および当審における控訴人本人尋問の結果を援用している。しかしながら、右各証拠中後記措信しない部分を除くその余の部分と、<証拠>を総合すると、前記折目は、大興証券に入社後間もなくから同会社の近くにあつた控訴人の経営する喫茶店「ボンド」に客として出入りしているうち、次第に控訴人およびその内縁の夫訴外横浜鉄城らと懇意になつたこと、折目は、大興証券に入社した年の末頃から株式の信用取引に手を出し、以来大興証券その他の証券会社を利用して顧客その他の第三者や架空人名義を用いて株式の取引をするいわゆる手張り行為を反覆継続するようになつたが、右取引から生ずる損失の補填や取引の運用資金に窮することも屡々となり、昭和三三年末頃から控訴人夫妻に対して右株式取引運営資金の融通方を依頼し、控訴人らも当初はその金額もあまり多くはなかつたのでこれに応じているうち、右融通資金の清算も几帳面に行なわれるので次第に折目を信用するようになり、それについて折目に対する金員融通の額や回数も次第にふえ、昭和三五年の初め頃からは、折目は控訴人名義の当座預金口座のある第三信用組合の小切手帳や、その後開設された控訴人らの娘の芸名である北原しげみ名義の三和銀行四谷支店の預金口座を利用して必要の都度控訴人ら名義の小切手を作成、振り出して自己の株式取引の用途にあて、右取引から生ずる取得金をもつてこれを決済するという方法による控訴人らの信用利用を反覆継続し、その回数も次第に頻繁となり、かつ、その金額も一回数十万円から時には一〇〇万円もの多額にすら達するようになつたこと、控訴人らは、折目の右のごとき操作のための控訴人ら名義の小切手の振出であることを知りながら、同人による控訴人らの信用利用を了解、許容しており、その間において折目から右利用に対する謝礼の趣旨等を含めて合計金二、三〇万円の金員を受けとつたこともあること、上記一七〇万円の二通の小切手金は、大興証券側においては、甲第一号証に記載しあるごとき株式取引委託の保証金としてでなく、折目の手張り行為のひとつである控訴人名義の大興証券との株式売買取引における売買代金ないし差額欠損金の支払のための入金として処理されていること、以上の事実を認めることができ、他にこれを動かすに足る証拠はない。そしてこれらの事実に加えて、本件にあらわれた証拠からは、控訴人らは折目に対して株式取引の資金の融通や信用の貸与をしたことはあつても、株式取引自体についてはあまり積極的であつたことは窺われず、僅かに甲第一号証の一部の記載や原審証人横浜鉄城、同折目誠一郎(第二回)の各証言の一部によれば昭和三四年一月頃金三万円の保証金を預託して一回信用取引を行なつたほか、若干小規模の取引があつたことが認められる程度にすぎないこと、そうだとすれば、そのような控訴人らが、たとえ控訴人らの陳弁するように当時まとまつた入金があつたとしても、一挙に一七〇万円もの多額の保証金を出して自己の計算において株式取引の委託をするというがごときは、特別の事情や理由のない限り容易に首肯しえないところであるのに、本件の全証拠によつてもかかる特段の事情や理由のみるべきものを見出だすことができないばかりでなく、控訴人らが現実に、いつ、いかなる銘柄の株式をいかなる指値で何株買い受けたか、ないしはその買付方を委託したかも全く明らかにされていないこと(原審証人横浜鉄城の証言中大成建設、日本電気、東芝、東映等の株式を現実に買い入れた旨の証言部分は、これを裏づける証拠がなく、直ちに採用し難いし、控訴人も、その本人尋問において、折目に対し甲第一号証の委託保証金の領収通帳の交付をたえず要求していた旨を強調、陳述するのみで、株式売買に関しては全く触れず、果してその意図があつたのかどうか、折目にその実行方を要求したのかどうかについては一言もしていない。)等の諸点を総合し、これと対比して考えるときは、上記合計金一七〇万円の小切手の交付が、控訴人主張のごとく控訴人から大興証券に対する株式売買委託保証金の差入れのためになされた旨の上記横浜証人の証言部分や控訴人の本人尋問における供述部分は、たやすくこれを措信することができない。
また甲第一号証の大興証券発行の金銭預り通帳には控訴人から金一七〇万円の取引委託保証金を受領した旨の記載があることは前記のとおりであり、かかる記載の存在は、たとえそれが原審における証人折目誠一郎(第一回)および中島充の各証言から明らかなように折目によつて擅になされたものであるとしても、少なくとも控訴人との関係においては、その存在自体で同人から折目が保証金として金一七〇万円を受領した事実を裏づけるもののごとき観がないでもないけれども、同号証の右記載によれば、右一七〇万円の受領日時が昭和三五年一月八日となつていて、控訴人の主張する授受の日時と著しく異なつているのに、原審証人横浜鉄城の証言によれば、同人も控訴人も昭和三五年五月頃税務署から右甲号証の存在を発見され、右記載について説明を求められるまでこれに気づかなかつたというのであるから、もしそれが本当であるとすればあまりにもうかつないしは無頓着といわざるをえないことに加えて、上記認定の諸事実や上に指摘した諸点、殊に現実に株式取引ないしはその委託がなされた形跡のないこと、および前記甲第一号証の授受の理由としては、例えば控訴人が自己の預金口座から一七〇万円もの多額の金額を折目に使用させることを許諾するについては安全のためにもある程度の裏づけを欲し、折目に対して甲第一号証のごとき書面の交付を要求するとか、その他の事情の可能性も考えられなくはないこと等を考慮するときは、たとえ右授受についての具体的事情ないし理由を明確に指摘しえないとしても、少なくとも右甲号証の記載から、直ちに、控訴人から折目に対し自己の大興証券に対する株式売買取引委託の保証金として入金するために上記小切手二通を交付したものと推認することは困難であるとしなければならない。その他に控訴人の主張事実を認めしめる証拠はなく、かえつて上に認定した諸事実とそこで引用した各証拠を総合すると、他に特段の事由のみるべきもののない本件においては、むしろ上記二通の小切手もまた、専ら、ないしは主として折目の手張り行為である株式取引運用資金操作の一環としてなされたものと推認するのが相当であると考えられるのである。
三、以上のとおりであるとすれば、控訴人が大興証券に対し、株式売買委託の保証金として同会社の代理人折目を通じて金一七〇万円を支払つたことを理由とする控訴人の本訴請求は、折目の代理権の存否を判断するまでもなく、すでにその前提たる保証金交付の事実について立証を欠くから、失当として棄却をまぬがれず、これと同趣旨に出た原判決は相当であり、控訴人の本件控訴は理由がなく、棄却をまぬがれない。
四、そこで、次に、控訴人の当審における予備的請求について判断する。控訴人の右請求は、要するに、上記控訴人の折目に対する本件小切手二通の交付が現実に大興証券に対する取引委託の保証金として入金されず、折目の手張り行為の損金の穴埋めとして入金されたため、控訴人として大興証券に対しその返還を請求することができず、結局同額の損害をこうむつたと主張し、右は折目が大興証券の使用人としてその業務を執行するにつき控訴人に加えた損害であるから、民法七一五条の規定により使用者である右大興証券の承継人の被控訴人に対してその賠償請求をするというのであるが、上記小切手二通の交付が控訴人の主張するごとく大興証券に対する株式取引委託の保証金の納入のためになされたものであることについての立証がなく、また他に右小切手の交付をもつて折目の大興証券の使用人としての業務執行に関連せしめる特段の事由の主張立証もなく、むしろ折目個人の手張り行為の資金融通のためになされたものと認められること前記説示のごとくである本件においては、たとえ右小切手の支払の結果控訴人が同額の損害をこうむつたとしても、折目個人に対してその責任を追求するは格別、大興証券に対して民法七一五条による損害賠償を求めることができないことは明らかである。よつて控訴人の本件予備的請求は、その余の点について判断するまでもなく、失当としてこれを棄却すべきである。
五、右の次第であるから、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九五条を適用し、主文のとおり判決する。
(中村治朗 鰍沢健三 鈴木重信)